若在則能制主上

最終更新
2004年10月18日

法正

ほうせい 176〜220

後漢の臣。字は孝直。涼州の生まれ。清廉潔白であった祖父とは異なり品行に問題があったために職を外されることもあった。益州別駕の張松と気が合いよく話をしたが、主の劉璋に名君の資質が無いと知ると互いに嘆きあっていた。その後劉備が益州に入ると聞いて張松とともに劉備の益州入りを秘密裏に進める。事前にその計画が漏れて張松は殺されるが、法正は首尾よく劉備に仕えることに成功した。

その後は劉備の謀将として活躍したが、劉備が益州の長となると彼の権力も増大。法正は昔の同僚や知人に与えられた些細な怨みすらも全て覚えており、これらに対しては片っ端から報復した。自分を悪し様に言っていたもの数人を勝手に殺したりもした。みかねた男が諸葛亮に諫言するが、諸葛亮は「我が君が益州には入れたのは法孝直のおかげであるから勝手を許さないわけにはいかない」と言い法正を止めなかった。この弁護に対し裴松之は「公私混同で法に反する」と批判している。

法正の弁護について「諸葛亮が諫言したのを劉備が止めた」と記述していましたが、この記述が誤りなので訂正しました(2004年12月23日)

あるとき劉備が曹軍のために退却しなければならない戦があった。しかし老齢重なり頭に血が上ってまともな判断ができない劉備は陣を下げることを許さない。矢が次々と降り注ぐ中で主の不興を買うことを恐れた群臣のなかには思い切って諌める者がいなかった。

矢の量が並々ならぬ量に増えた時、劉備の前に法正が進み出た。矢は止むことなく降り注ぐ。突然の彼の行動に劉備は慌てて「何をしている。矢を避けぬか孝直」と言ったが、法正は「明公(=劉備)が矢の中にいるのです。つまらぬ男なら当たりましょう」と言って動こうとしない。法正を失うことを恐れたのか己の誤りを知ったのか、劉備は即座に退却を命じた。劉備が関羽の弔い合戦に出ようとする時に「法正がいれば主を止めてくれたかもしれない」と諸葛亮が嘆いたのは、このエピソードが由来である。諡号は翼侯。

なお劉備の代で諡が送られたのは法正ただ一人である。

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